太刀洗飛行場は大正時代から陸軍の航空隊の基地でしたが、一時は民間の
航空会社も同居したり大陸との中継地で利用されたり、陸軍の飛行学校も
有ったそうです。
有名な菊池武光公の像にはアメリカ機の機銃掃射の跡が有ります。
博多湾から引き揚げられた97式戦闘機
海軍のゼロ戦32型
ゼロ戦32型はなかなかレアです。(本物)
ゼロ戦32型は高性能でしたが、翼端を短くしたため航続距離が短くなり
パイロットからは不評だったそう、、、。
僕は海軍の失敗と戦略の間違いは、ゼロ戦の航続距離の長さが一つの要因だったと
思います。
腕の良いパイロットとゼロ戦の航続距離が要因となって無謀な作戦が
継続された事が消耗戦となった時に日本の大きなリスクを与えます。
僕としては究極の海軍機と言える「震電」
後方にプロペラが設置。当時としては画期的な機体。
性能もピカイチの予定(試作機しか出来なかった)
この機体は実物大のレプリカ。
この機体が完成して配備されていたら無差別爆撃は無かった、、。
何故かと言えばアメリカの爆撃機の被害が増えれば人命を第一に考える
アメリカは作戦の修正を余儀なくされます。
原爆も日本の敗戦も歴史通りだったかもしれませんが、多くの民間人が爆撃の
犠牲になることは無かったかもしれません。
記念館には特攻で亡くなった方の遺影と手紙が展示しています。
皆さん若い方です。
改めて平和について考えさせらます。