唐津に行ってきた①

さて、先日イオンに買い物に行くと、、。

母の日の店内ポスターに、わたせさんの作品を発見!!

流石だなー、、。時代とともに、イラストも今風の母娘に変化してる。

 

GWは7日に休みを貰ったので6日から1泊で佐賀唐津に行ってきました。

5月になって烏賊の季節になりましたからね。

途中は古賀の「日田焼きそば」想夫恋に寄りました。

北九州市内は折尾に1店舗のみ残りました。

やはり鉄板じゃないとなー、、。(折尾はお皿で提供)

久しぶりの美味さ、、。

発祥は日田市なんだけど、いつ行っても店舗は賑わってます。

値段が高いからなかなか北九州には定着しない。(2店舗消えました)

何故、日田はお客が多い、、。やはり御当地だからかな、、。

元有った北九州の店舗の書き込みに「焼きそばに1000円出すなんて信じられない、、。」ってよくあったけど、、、。縁日の露店の焼きそばじゃ無いんだから、、。

北九州で人気の資さんうどんで「焼うどん」は790円。焼きそばに1000円は

確かに高めでは有るなー、、。でも好きなものは好き!!

 

今回、唐津に来たのは大好きなホテルで烏賊を食べるため。

でもその前に少し観光。

久しぶりに唐津城に行きました。

唐津城平山城となっていますが、周囲は川と海に囲まれた非常に堅固な

城になってます。

築城は秀吉家臣の寺沢広高で、資材は文禄・慶長の役で秀吉軍の前進基地と

なった名護屋城の解体資材が転用されたようです。

寺沢家は関ケ原の功績で天草4万石が加増されるがこれが結局、寺沢家の

命取りとなってしまう。

元々、寺沢広高キリシタンで当初は天草のキリシタンを認め保護するが

禁教令が出ると大きく弾圧することとなる。しかも石高4万石は大きな

誤りで天草の領民に大きな負担となり天草の乱の元凶にもなった。

結局2代目の寺沢堅高の時代に天草の乱が起きて、その責任を問われ

天草領が没収となるが島原城主の松倉氏の様な重い処分は無かったが

出仕禁止となった寺沢堅高は江戸で自害し寺沢家は取り潰しになった。

天守閣からの眺め

自然の堀になってますね。

虹の松原方向 海沿いの松原が分かりますか

小高い丘の上に天守があります

ツツジが少し残ってましたが目当ての藤棚は終わってました。

 

続く。