ブラタモリ放送若松

ブラタモリで北九州の二回目が放送されていました。

僕も13年くらい住んだかなー。

今は息子夫婦が住んでます。

高塔山の裾野辺り、、火野葦平さんの旧宅辺りかな?

和風の家屋に洋風の建屋を合わせたような家屋が残ってる

そうです。今度歩いてみよう。

一回目の放送でも北九州の歴史の中で筑前豊前の軋轢が

紹介されていましたよね。

細川忠興黒田長政の仲の悪さ、、。

細川氏に代わって小笠原氏が入国してもそうだったのかな??

因みに自分は豊前国生まれ、、。筑前国在住13年、、。今は豊前国暮らし、、。

 

さて元我が家の近くには、、。

若戸渡船の渡場から続く唐津街道が通り、、隣には、、。

古河鉱業若松ビル

なかなか素敵なデザイン

有形文化財です

下が切れてしまった、、映画の撮影でよく使われる上野海運ビル

左の建物の1FLは「ねこのじ」って可愛いカフェ。

人気のクロワッサン「三日月」が入る石炭会館

かつての石炭積出港の賑わいの面影を少し残してます。

 

目の前は洞海湾皿倉山

官営八幡製鉄の建設場所は門司に決まりかけてたらしい、、。

その理由は洞海湾が干潟で製品を払い出す船が入れない事、、。

官営門司製鉄になってたら北九州の歴史も大きく変わったかも、、。

しかし筑前の方々の豊前に対するライバル心って明治後半になっても

有ったんだねー!!

大逆転で八幡に建設ってかなり土壇場で裏が有ったのかな。

一気に浚渫(しゅんせつ)したんですね。

 

若松総鎮守の恵比寿神社

神功皇后が若松に上陸したときに海中で見つけた光る玉が御神体だそうです。

若松と命名したのは同行していた武内宿禰(タケウチノスクネ)。

海岸に若い美しい松が沢山有ったからだとか。

 

かつて東洋一の吊り橋と呼ばれた若戸大橋は今でも美しいです。