6年前の姫路城③

最初に触れるべきでしたけど、姫路城の歴史ですが南北朝の時代に

①赤松氏が最初に城と言うより砦の様な小規模の拠点を造ったのが

 始まりと言われています。

②戦国期に有力豪族の小寺氏(大河ドラマ覚えてますか)の家臣

 黒田氏によって城郭が築かれた。

③その後、黒田氏を家臣にした羽柴秀吉が三重櫓の本丸を持つ城に改造。

④1600年に関ケ原で勝利した家康が娘婿の池田輝政を52万石と言う大出世で

 この地に配し、現在の姫路城を築いた。

ちなみに大河ドラマで人気になった軍師官兵衛黒田官兵衛)が

城主になったのは1567年で、秀吉も恐れるほどの才能の持ち主で

もし、、関ケ原の戦いが膠着状態になっていたら、黒田官兵衛が九州を制圧し

その後の歴史は分からなかったとも言われています。

有名な話として、関ケ原の論功行賞で家康が黒田長政の右手を取って

「この勝利はひとえに御辺のおかげである」と感謝の言葉を述べたと

聞いた黒田如水(官兵衛)は、「その時に左手はなにをしていた」

とつぶやいたと言われています。

まー創作かもしれませんが、長政を犠牲にしてでもまだ天下を狙う、、。

乱世に生きて来た黒田如水の有名な話です。

前置きが長くなりました。

瓦の家門は池田氏の後に姫路城主となった松平氏のものですが、興味深いのは

その奥の鬼瓦の部分。実は十字架なのです。

黒田官兵衛キリシタンを信仰していましたのでその時代のものならば納得かも

しれませんが時代的に違うらしく、当然ながら松平家が禁制の十字架を使う訳もなく

現時点、真意は不明らしいです。

尚、現在の姫路城を築いた池田氏の家門は揚羽蝶です。

鬼滅の刃の胡蝶さんみたいで、なんかお洒落ですね。

これが池田氏の家門瓦。

ニュースになったのは逆さ付けの家門瓦が見つかった時。

真相は不明となっていますが、多分、建物は完成した瞬間から壊れて行くもの

との考えから完成させない状態を意図的に作ったものと考えられます。

天守が近づいてきましたよ。

石垣の排水口です。石垣といえ内部は土砂とか砂とか小石ですから

水抜きが必要です。

鉄砲狭間から覗いてみました。

次の門に到着。徐々に狭くなってきます。

ここも通路を潰すことが出来る構造みたいです。

次の門です。

ほの門

石落としが見えます

ここも本丸前の防御櫓

強度を増すために油を混ぜて練った土壁。元々は白の漆喰が塗ってあったそうです。

秀吉の時代に石垣の石が不足していたところ、街の婆様が石臼を寄付した

そうで、喜んだ秀吉を見てどんどん石が集まったそうです。

後程、出てきますがこの城の石垣には色んな石が使用されています。

遂に本丸迄到着しました。

多分、ここまでに5~6回は討ち死にしてると思います。

 

続く。