さてイケメン・美女ばかり選びましたが実際どうだったか
肖像画をお借りして並べてみました。
全員分は大変ですから立花家と父親の高橋紹運を選びます。
・立花宗茂
少しわかりにくいですがガッチリした体格です。
鎧から身長は180cm以上、胴も太くきゃしゃな体格
ではなかったそうです。
信長の野望(ゲーム)ではこうなります。
・誾千代(奥方)
やはり美人なのが分かります。
信長の野望より
・立花道雪(養父)
いやっこれは怖い、、。
宗茂もビビリまくってたかも。
信長の野望 鬼道雪
・高橋紹運(実父)
戦国期は出家する人が多いです。
武将は死に対してより近い場所に身を置いていることから
戦国時代には出家して縁起のよい戒名を名乗る人が多かったのだとか。
信長の野望になるとこうなります。
幼くして高橋家から立花家に養子に出された宗茂。
実父である高橋紹運は長男である宗茂を養子に出すのを拒みますが
宗茂の器量を見抜いていた立花道雪から大友家の為、、(立花家ではない)に
是非とも宗茂を誾千代の婿にと頼み込んで養子に貰い受けました。
・立花道雪の逸話
若い頃に大木の下で昼寝をしていたところ、急に雷雲が沸いて雷が
落ちて来た。とっさに刀を抜き雷を切った。雷の為に左足が不自由と
なったが鍛錬を積んでいたので武勇は誰にも負けなかった。
雷が落ちた跡が刀に有ったので以後その太刀は「雷切」と呼ばれた。
・誾千代の逸話
秀吉が大陸出兵を行ったとき、大名の奥方を歓待すると言い出し
抜いたりする奥方が居る一方で、誾千代は鎧を付けて鉄砲を装備
した侍女を引き連れて名護屋城に入城した。
秀吉は「流石は立花の奥方であると大笑いした」
・高橋紹運の逸話
立花道雪も病死し大友家が傾きつつ有る中で、息子2人を立花山城と
九州制覇を目論む島津氏は最大5万人の大軍で北上を開始した。
最初に攻められるであろう岩屋城は高橋紹運が763名の家臣とともに籠城。
50倍の大軍と戦い7月14日~27日の間、島津軍の攻撃に耐えた後、全員が
玉砕した。続いて宝満山城を調略して宋雲院と高橋(後の立花)統増を
人質に獲った島津軍は宗茂と誾千代が籠る立花山城に向かった。
しかし2週間岩屋城の攻略に費やしたツケは大きく、立花山を囲んだ時点で
島津軍は囲みを解いて撤退を開始。
これを見た立花宗茂は立花山城を出て猛然と反撃して散々に島津軍を
打ち破ると共に近隣で島津軍に付いた諸将を打ち破った。
島津軍に付いた星野吉実と吉兼を高鳥居城(福岡須恵町笹栗町)で
破り、その首塚が有る場所が現在の博多駅のひとつ手前の吉塚駅の
由来となっている。
その働きに秀吉は「九州唯一の者」と評した。
本当におしまい。