踏鞴(たたら)のお話 

立山のお話は来週まで飛ばして、コロナ前まで頑張ってた

踏鞴(たたら)※鑪・多々良・多田羅などとも書きます。

踏鞴は古代から続いている鉄造りの事です。

語源は鉄が発祥したタタールからとも言われています。

江戸時代の終盤に盛岡藩が釜石の山の中に、近代製鉄の元になる

高炉を大島高任らが中心になって造りました。

何故山の中なのかと言えば、鉄鉱石が産出されたからです。

岩手釜石橋野高炉の跡地

 

近代製鉄の日本での発祥は北九州の八幡官営製鉄と思われてる

方が多いと思いますけど、なんと官営製鉄も岩手釜石が最初です。

釜石官営製鉄

官営製鉄のお話はまた別の機会に、、。

 

日本で鉄造りが始まったのは記録は無いですけど、弥生時代ではないかと思います。

今の製鉄に必要なのは鉄鉱石と石炭を乾留して造ったコークスですが

踏鞴(たたら)製鉄に必要なのは砂鉄と木炭です。

地名で多々良とか多田羅とか残ってる場所は古代製鉄をやってた場所と思って良いです。

踏鞴製鉄で作った鉄が何に使われたかと言えば、農具や鍋や茶釜など思い浮かぶと

思いますが、やはり武器武具になりますね。

古代のクニではそれまでの青銅や銅に変わり強い鉄を持ったクニが力を持ちます。

刀や槍、鏃(ヤジリ)鎧、兜など鉄はその強さから貴重な資源になりました。

 

古代出雲(島根)では鉄造りが盛んで多くの鉄を産出していました。

八岐大蛇の伝説は、踏鞴で出る赤く溶けたノロ(鉄の不純物)の流れる様子や

砂鉄を川で採取して斐伊川が土砂で汚れた様子とか言い伝えが有ります。

しかもスサノオが大蛇を退治して尻尾から出てきたのが草薙の剣。

三種の神器の一つです。これはヤマトが出雲を支配して鉄を手に入れた事を

表したものとも言われています。

 

 

島根日刀保たたらで行われている古来からの製法を継承した踏鞴製鉄

現在、刀匠の方が造られる日本刀はこの踏鞴で出来る鉄(玉鋼)を

使ったものしか日本刀の称号は与えられていません。

 

さて自分の住んでいる北九州は産業の構成上「ものつくり」を非常に

重要視していてその一環として小学生を対象に「市民たたら」なるものを

コロナ前まで行っていました。

本格的な炉は土(粘土)で造りますが水分を飛ばすのに時間が掛かりますので

耐火煉瓦を使います。炉の中には温度を上げるのに焼けた炭を詰め込みます。

煙突を乗せて炉は完成。

時間を掛けて砂鉄と木炭を煙突の上から入れて行きます。

下からは羽口(はぐち)と呼ばれる所から空気を送り込み燃焼させ酸化還元反応をさせます。

もののけ姫の「たたら場」でフイゴを踏んで炉に空気を送り込むシーン。

この女性達は番子(ばんこ)と言って交代で踏む事から「かわりばんこ」の

語源になりました。

反応の途中で不純物であるノロ(鉱滓)を出します。炉の中は1000℃を超えます。

ノロ(鉱滓)鉄っぽく見えますが、鉄では有りません。

製鉄では鉱滓スラグとして鉱滓レンガ等に活用されました。

小学生に砂から砂鉄を分離する「かんなながし」の方法を実演してみせています。

事前に分離採取した砂鉄を使用しました。

島根の小学生が溝で砂鉄を分離している様子

 

北九州の子供たちも頑張ります。

一定時間操業を行ってから炉を解体します。

鉄が出来ました!!赤い丸い部分が鉄の塊。周囲の黒いのが木炭の残りです。

 

島根の日刀保たたらで出来た鉄の塊。鉧(ケラ)の固まり。

鉧(ケラ)の固まりの中にこの玉鋼(たまはがね)が存在し

現在の日本刀の原料として刀匠の方に渡っています。

 

コロナ禍のなかで市民たたらも中断したままですが、願わくば何らかの形で

継承したいです。