5年前の久住・竹田③

2日目は、レゾネイト久住から竹田市に向かいます。

時間的には30分程度で到着します。

過去記事で原尻の滝とか白水ダムを紹介してますが

ここも竹田から分岐してますよ。

 

renkun.hateblo.jp

 

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岡城に到着しました。

この岡城が有名なのは、、。

①戦国期末の島津氏の北上に対して、大友家臣の志賀親次が1500人の少数で

 何度も島津の攻撃を撃退した難攻不落の名城であること。

②最初に築城したのが平安末期から鎌倉初期の武将、緒方三郎で築城の理由が

 頼朝に追われる身となった源義経を受け入れる為だった。

 結局は義経が船出に失敗し迎えることが出来なかった。

③江戸期に中川氏がこの地を治めたが、三代目の中川久清は大の登山好きで

 何度も久住の大船山に登り、墓も大船山の中腹にある。入山公と称した。

 但し久清は足が不自由だったので人馬鞍で担がれて登ったのではとの

 説もあるそうです。(家臣は大変だ)

④作曲家の滝廉太郎は父の仕事の関係で竹田の高等小学校に通った。

 「荒城の月」荒れ果てた岡城で遊んだ記憶から作曲されたという説が有る。

 「荒城の月」の作詞は土井晩翠で詩のイメージは仙台城や富山城をイメージ

 したものとされている。

さて大手門跡に向かいます。

復元図です。

大手門の基礎になります。

旧大手門跡 戦国迄の大手門 新しい大手門は中川氏が入城後に築城の名手

藤堂高虎のアドバイスで今の位置に変えたとの言い伝えがあります。

古い階段跡

岡城と言えばこの石垣 素晴らしい造りです

滝廉太郎像 「荒城の月」を作曲しました。

奥にうっすら久住の山並みが見えます。

やはり山城ですね。ここを攻めるのは大変です。

実は戦国期の茶の湯の名人、古田織部の子孫が中川家の家老になります。

茶室を備えた屋敷跡

土塀の跡

 

基本的に石垣がメインの城ですので、詳しい資料は竹田市歴史資料館で

観れるみたいです。

 

終わり。